ミュオン標的系 |
電子と同じレプトンと呼ばれる素粒子のグループの一種、質量は106メガ電子ボルト(MeV/c2)、これがミュオンです。光速近くまで加速した陽子をミュオン標的系に照射してミュオンを人工的に生成します。
ミュオン施設では3 GeVシンクロトロンによって加速された3 GeV(ギガ電子ボルト)の陽子ビームを黒鉛製のミュオン標的に衝突させることによってパイ中間子を生成し、そのパイ中間子が崩壊して出来る素粒子ミュオンを様々な分野の研究で利用しています。ミュオンは標的の周囲に設置されたミュオンビームラインによって研究者のもとに届けられます。研究をより早く、正確に行うためには大量のミュオンが必要になりますが、J-PARCミュオン実験施設は世界一のミュオンビーム強度(ミュオンの個数)を誇っています。
ミュオン標的は、3 GeVシンクロトロンから中性子標的へ続く陽子ビームラインの途中、真空の中に設置されています。パイ中間子の生成には加速された多くの陽子の一部が使用され、残った陽子はミュオン標的の後方にある中性子標的で中性子を生成するために使われます。陽子ビームがミュオン標的に衝突するときには、パイ中間子だけではなく、熱と中性子などの放射線も同時に発生します。その熱や放射線は陽子ビームラインにも大きな影響を与えます。そのため、ミュオン標的や陽子ビームラインは、この熱と放射線の影響を注意深く検討して設計されています。
陽子ビームにより発生した熱は除去(冷却)する必要があります。2008年9月より、冷却水配管を埋め込んだ銅フレームを黒鉛材の周囲に配置した固定標的による運転を開始しました。黒鉛と銅では熱による膨張の仕方(熱膨張係数)が大きく異なるため、その境界に大きな力がかかる事が予想されました。そのため、ちょうど中間の熱膨張係数を持つチタンを二つの物質の境界に挿入し、その力を低減化する事に成功しました。固定標的は2014年9月まで一度も故障することなくパイ中間子を作り続ける事が出来ました。
しかしながら、固定標的の場合は、陽子ビーム強度が増強(加速される陽子数が増加)するに従い、黒鉛材が陽子ビーム照射によって損傷を受け使用できなくなると予想しています。そのため黒鉛製のドーナツ状のリングを回転させ、陽子ビームの当たる場所を変えることによって損傷を分散させ、標的の寿命を延ばす事を可能にする回転標的を開発しました。回転標的の場合、黒鉛の寿命は大きく延びますが、回転部分を支持する軸受の摩耗が使用可能な期間(寿命)を決めると考えています。軸受けの摩耗を防ぐには通常、グリースを潤滑剤として使用します。しかし、ミュオン標的の場合、真空中で使用可能なこと、放射線の影響に強いことが潤滑剤には求められ、グリースを使用することはできません。そこで我々は、軸受の潤滑材として固体である二硫化タングステンを使用する事によって長寿命化を目指しています。2014年9月に導入された回転標的は、2017年4月に至るまで交換することなく、運転を継続しています。
世界でただ一つの標的を考えて、試作機を作って、試験して、実際の加速器運転に使って、誰も達成できなかった事が出来たときは、代えがたい喜びを感じます。うまくいかなかったら、どうしようというプレッシャーもありますが、その喜びのために、世界中の仲間といつも新しい事を考えながら開発を行っています。
(担当:牧村俊助)
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